この世界との出会いは大学時代のパーフェクTVでのアルバイトADから。 予算のない中、ゼロからの立ち上げだったので、テレビ局内にたくさんのモニターを設置したり、配線をしたり、放送事故の時に流す“金魚鉢”の世話をしたり、女子アナのボディーガードをしたり、時にはCMの営業を手伝ったり、何から何までテレビ局をゼロから作るところから出発しました。
大学卒業後、国家公務員になりましたが、どうしても内勤だけのスタイルに合わず、 テレビの世界へ戻ってきました。
その反動か、テレビ朝日「ネイチャリングスペシャル」「素敵な宇宙船地球号」など外に飛び出してなんぼの番組を皮切りに、「ザ・スクープ」、日テレの「ザ・ワイド」、一番長いのはテレビ朝日「報道ステーション」で15年ほどディレクターをして、今は「サタデーステーション」でコロナと闘う日々が続いています。 気が付いたら、業界歴はのべ25年以上に。
報道ステーション(テレビ朝日)
報道ステーション ディレクターを担当。
テレビ東京の旅番組のアシスタントプロデューサー・リサーチャーとしてテレビ業界で働き始めその後、映画情報番組のディレクターを2年務める。 「報道ステーション」初回放送からリサーチャーとして携わり、現在も同番組勤務。 旅番組の仕事をしていたおかげで、温泉と銭湯が好きに。 旅番組と報ステの仕事を通じて、全国の地理や名所、名物などに詳しくなる。
◆立教女学院中学校在学中、古舘伊知郎が実況していたF1にハマる。 ◆立教大学卒、英国国立イーストアングリア大学大学院修士課程修了。 ◆国連広報センターでのインターンを経て2009年古舘プロジェクト入社。 ◆2012年よりテレビ朝日「報道ステーション」AP、のちディレクター。 ◆2020年4月からBS朝日「日曜スクープ」ディレクター ◆報道担当だが、特技はフィギュアスケートの6種類のジャンプを見分けること。 スワローズをこよなく愛し、愛用のメガホンには伊藤智仁、山部太らの千社札が貼られている。
映画「男はつらいよ」で、寅さんがタイトルバックに歩く、江戸川土手のそばで生まれる。 住所は江戸川区なので「生まれも育ちも葛飾・柴又です」とはいかなかったが、 ガキンチョの頃は帝釈天で「また寅さん撮ってるんだ〜」と撮影現場を眺めていた。
だから映像に目覚めた、となればカッコもいいのだが、そうではなく、 たまたま目の前で見た女性タレントがチョー美人だったのだ。 「こういう人と会える世界で働くのも悪くない・・・」という下心から、テレビ業界に足を踏み入れる。
気がつくと、取材で野生のニホンザルを追っかけて野山を駆け巡ったり、ジャングルでヒルに血を吸われながらトカゲを探してたり、 「こんなはずじゃあなかったんだけどなあ」とつぶやきながら時が過ぎていた。
海外にもたくさん行ったが、仕事以外で行ったことがない。 ケニアのサバンナで、満天の星空を眺めたことが忘れられない。そばには男のスタッフしかいなかった。 「なぜ俺は、この美しい夜空を、ヤローだけで見てんだ・・・」。
自分ではそれほどとは思っていないのだが、人に言わせると、自分は編集がむちゃくちゃ早くてウマイらしい (吉野家級)。 クラシック音楽と映画には、なかなか造詣が深く、そんじょそこらの人には負けない・・・と勝手に思っている。
クリント・イーストウッドと会って話をしたことが、人生最大の自慢。 (今もイーストウッドが飲み残したミネラルウォーターのペットボトルが、家の冷凍庫に眠っている)
静岡県御殿場市出身、1975年生まれ。 物心つく前から大学まで、スポーツ漬けの毎日を送る。 そのため、少年時代の唯一の楽しみがテレビだった。 大学卒業後は、迷わずテレビの世界へ。 狙った訳ではなかったが、スポーツ関連の仕事に縁があり、 いつの間にかサッカーW杯や五輪の現場に行けるようになっていた。 得意分野はスポーツ(五輪種目)だが、深海の知識にも自信あり。
毎日7cmのハイヒールで通勤し、総務や人事部で伝票処理したりデータ入力したり職員の血圧を測ったりしていた元OL。
転職活動中、とある方の紹介でブレイン コミュニケーションズへ入社。 「業界未経験だけど事務の仕事だったらできるかも?!」とこの世界へ足を踏み入れ、 いつの間にかデスクに留まらず現場を走り回る生活に。
<思い出に残っている仕事> ☆元SMAPの森くんをレーサー転身後初のバラエティに登場させ、ビートたけし氏との共演を仕掛けたこと。 ☆新潟県 片貝まつりの四尺玉花火と柏崎市の尺玉100発一斉打上げの中継。 (一生に一度は観て欲しい!)
サザンオールスターズとクラフトビールでエナジーチャージ。 B型うお座の黒髪アラフォー女子。(女子?!)
タレントマネジャーを経て、番組制作側に転身。 自分の企画した番組でスター(商品も可)と呼ばれる人をつくれれば幸いです。 年間100本ぐらいの企画が頭の中にあります。(出さなきゃダメか)
東京都府中市育ち。 大学生の時、学生掲示板で「放送作家見習い」の募集を見つけ、 グループ会社である古舘プロジェクト所属の放送作家の見習いとしてテレビ業界入り。 その後、ひょんなことから現在の会社にADとして働くことに。 現在は『健康カプセル!ゲンキの時間』や花火特番などを中心にディレクター業をおこなっている。 番組で培った健康知識の量とパソコンや撮影機材の知識量は社内イチ! ・・・言いすぎかな?(笑)
2002年に愛知の中京テレビ「ニュースプラス1」の企画コーナーでディレクターデビュー! 日韓ワールドカップでは決勝の舞台に立つエスコートキッズに選ばれた岐阜の小学生に密着。 テレビの仕事を続けるならスケールの大きい仕事がしたいと東京へ。 なんやかんやあってNHK「ケータイ大喜利」のディレクターに。 週1で140の国と地域で生放送&半年に1回3000人規模の公開収録と望んでいたスケールの大きい現場に就く。 その後フリー時代にはAKB、SKE、HKTのVP監督とこちらはスケールの大きいビジネスの現場を経験。 2017年、40歳を前に人生を一度見つめなおそうと地元愛知へUターン就職。 子供のころから大好きな高田純次さんがMCの中京テレビ「PS純金」のディレクターへ。 このまま愛知で余生までと思ったら、2020年、妻が東京に転勤に。 家庭か仕事か。 家庭をとって2度目の東京。 2020年10月からブレイン コミュニケーションズに所属。 NHK「突撃!カネオくん」BS日テレ「ストロングポイントクロス」テレビ朝日「スーパーJチャンネル」など担当。
好きな音楽はカリブ由来のブラックミュージック。 東京の家は狭いので場所をとるターンテーブルとアナログレコードは泣く泣く実家の倉庫に封印。 いつか広い家に引っ越して自宅パーティを復活させたい。
この世界との出会いは大学時代のパーフェクTVでのアルバイトADから。
予算のない中、ゼロからの立ち上げだったので、テレビ局内にたくさんのモニターを設置したり、配線をしたり、放送事故の時に流す“金魚鉢”の世話をしたり、女子アナのボディーガードをしたり、時にはCMの営業を手伝ったり、何から何までテレビ局をゼロから作るところから出発しました。
大学卒業後、国家公務員になりましたが、どうしても内勤だけのスタイルに合わず、
テレビの世界へ戻ってきました。
その反動か、テレビ朝日「ネイチャリングスペシャル」「素敵な宇宙船地球号」など外に飛び出してなんぼの番組を皮切りに、「ザ・スクープ」、日テレの「ザ・ワイド」、一番長いのはテレビ朝日「報道ステーション」で15年ほどディレクターをして、今は「サタデーステーション」でコロナと闘う日々が続いています。
気が付いたら、業界歴はのべ25年以上に。